明治維新後ただちに神仏分離令が発布された(1868)[分離令参照」.特に権現・牛頭天王は仏教なのに神を称したとして厳しい追及を受けたことがわかる.これにより牛頭天王社として繁栄していた蘇民将来系の現八坂神社・津島神社は改名し生存を図らざるを得なくなった.

●権現(本地垂迹説で、仏教神が仮に神の姿で現れた)

  八幡権現(八幡菩薩) → 八幡大神   でOK

●牛頭天王

     異神を認めず(神は日本本来のものである)

  天皇の名を僭称する不敬の偽神

(1) 祇園社→ 八坂神社、牛頭天王社→ 津島神社 と改名し、さらに

(2) 祭神 牛頭天王→ スサノオノミコト と改め

(3) 神宮寺を廃絶、あるいは分離し、仏教的なものを除去(廃仏毀釈)

神社の仏教に対する報復

 石清水八幡宮: 仏像等を古物商に売り飛ばす

 日吉神社: 仏像等を破壊、廃棄

 興福寺: 僧侶が全員還俗して春日大社の神官になってしまい、管理者がいなくなった。五重塔を買った商人が金具類を取ろうとして焼き払おうとしたが類焼を恐れた近隣の反対で思いとどまった。

神仏分離令による牛頭天王の消滅  




























筆者の住んでいる日野でももともと管理していた普門寺が牛頭天王社を八坂神社
と改称し,剃髪していない坊主を神主として何とか切り抜けたことが記されている.
廃仏毀釈は寺にとって大変な危機であったことがわかる.