尖石(とがりいし)縄文考古館

    長野県茅野市豊平4734-132    Tel : 0266-76-2270

       2017-5-27
       2020-2-26


宮坂英弌(みやさかふさかず)氏.考古館玄関前の像
   この地が5000年前縄文時代中期の集落であったことを発掘によって示し,自宅に考古館を開設し広く公開し,現在の礎を築いた.氏は,さらに旧石器時代の遺跡渋川遺跡を発掘し,その上流の冷山に狩猟道具として優秀な黒曜石の原石があることを突き止め,搬出し,考古館に展示した.
   宮坂英弌の軌跡 https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/list34-66.html 参照



八ヶ岳南麓は縄文時代中期 (5000-4000年前)に栄え,この尖石台地ほか多数の住居跡が見られる.



考古館のある台地が尖石台地,谷を挟んで北にあるのが与助尾根台地




縄文式時代の国宝は6点,そのうち2点が考古館にある.
★ 縄文のヴィーナス(棚畑遺跡出土,5000年前)は数ある国宝のうちでもっとも古いもいのである.土偶は通常バラバラで埋葬されている.例えば釈迦堂の多数の土偶は頭部だけで,体の部分は近くには見当たらないのがふつうである.この土偶は体長27cm, 体重2.14kgで集落の中心の穴に横たわるように埋められていた.




★仮面の女神 (茅野市湖東の中ツ原遺跡出土.4000年前.高さ34cm,重さ2.7kg. 遺跡のほぼ中央のお墓と考えられる穴が密集する場所で,横たわるようにして埋められていた.右足は壊されて胴体から外れていた.







このほか,素晴らしい縄文の土器が展示されている.いくつか示す.









































当時は,狩猟時代なので鋭い断面を持つ矢じりなどの性能は重要であったと考えられる.材料としては,石器,それに鋭い断面を持つ黒曜石が用いられた.




★旧石器時代の黒曜石鉱山冷山(つめたいし)

氷河時代は約1万3千年前に終わったが,日本列島には2万年前から人々が住みつき狩猟生活を営んでいた.その狩猟道具として磨いて鋭い面を持たせた石器が用いられたが,黒曜石はさらに鋭い刃物を作り出すことに成功した技術革新的な道具であったと考えられる.黒曜石は火砕流の中で急速に冷えたガラス質の材料である.八ヶ岳の噴火により生成した黒曜石が下図のように蓼科周辺で得られ,優秀な黒曜石の鉱山を生成していた.



 麦草峠下の冷山(れいざん,あるいは,つめたやま)の黒曜石露頭原石を探しあて,考古館まで運搬してきた黒曜石が考古館玄関前の芝生に頭部だけ見せている.高さ75cm,周囲3m,重量1トンの大塊を埋めたものだそうである.このことは,考古館の黒曜石には案内はないが,
  小泉袈裟勝,「八ヶ岳の三万年 -黒曜石を追って」法政大学出版局(1987) p.83
に記してある.




館内に展示してある冷山黒曜石原石



参考: 中村由克: 旧石器時代の八ヶ岳山麓
   文献:旧石器時代の八ヶ岳山麓

★ 尖石
館内を出た南側には特別遺構地区の尖石台地があり,その坂を下りると地名のもととなった尖石が祀ってある.



尖石の前の谷は気持ちの良い田んぼであった.もっとも縄文時代の人々はこの景色は知らなかったであろうが.