冷山周辺の旧石器時代遺跡周遊
     麦草峠-渋御殿湯-渋川遺跡(旧渋川保科温泉跡)

    2017-5-28~29

小泉袈裟勝,「八ヶ岳の三万年 -黒曜石を追ってー」 法政大学出版局 (1987) は,冷山の黒曜石露頭を探す記録なのだが,それに刺激を受けて私たち(妹夫婦と3人)は,たまたまその周りをドライブしたことになった話である.上記の本の地図上に私たちの行動をグリーンの線で記した.




もう一組の夫婦Yさんと,我々の組の2台の車で7月28日に北杜市を出発し,白駒の池を経て,地図の右上からになる麦草峠に達した.ここには麦草ヒュッテが草原の中に建つ.





ヒュッテの中でコーヒーを頼む.受付の娘さんに,「黒曜石は無い?」と聞いた.これは,小泉さんはこの峠から話が始まるので何か知っているかと思ったからである.そうしたら,急に中に入って石の塊を抱えて持ってきた.まさに黒曜石である.



そのうち女将も出てきて,「麦草の道路を拡張するときたくさん出てきたんですよ」という.「どこか黒曜石を見ることはできないか」と聞くと,駐車場の砕石にたくさん使われているから,いくらでも見ることができますよ」との言.

慌てて外へ出てよく駐車場の砕石を見ると,普通の石の上に黒い艶を見せる石がゴロゴロしている.きれいなものはほとんどないが,確かに黒曜石のようだ.草原を歩くと花々の下にある石にも黒曜石があったりする.











白樺湖でYさんと別れ,私たちは奥蓼科温泉郷の最奥の渋御殿湯へ.




小泉さんの著書にも写真(p.67)があるが,4個の黒曜石が御殿湯の庭(というより通りに)あるので記念写真を撮る.そういわれなければ黒曜石とはわからなかった.同書によれば,宮坂さんが1955年11月3日に冷山から黒曜石の大塊を尖石考古館に搬出した時,御殿湯の主人も手伝い,その時4個の塊を同時に搬出して庭に置いたのではないかと推測している.この塊は茅野駅のホームに一つあるそうで,計6個あることになる.黒曜石は13万年前に生成した.








宿の湯の華が見事



翌29日,辰野館から右折して細道を行く.同書によれば,この逆川の堤を超えていけば原石地に行くのだが,今回はここまで.




 ★渋川遺跡と保科館(廃業) 先を急ぐと急な曲がり角から未舗装ながら大きな道で左に降りられるようになっている.あるいはここが渋川遺跡かもしれないと下る.下ると,進入禁止のバリケードにぶつかり,ここで降り,探索.建物の基礎が見える.渋川保科温泉の跡であり,渋川遺跡でもある.帰宅してインターネットで探すと閉館のURLがあり,口コミから見ると 2007年9月には営業していたが,2008年2月には閉館している.奥へ進むと,「渋川遺跡の瀧」と記された人工滝に会う.これはかって温泉玄関前にあったもの.





その向こうは平らな原っぱ.ここが宮坂さんが発掘した旧石器時代の遺跡「渋川遺跡」の跡なのだろう.冷山の黒曜石原石を背中にしょってここまで下ろし,ここで石を欠いて黒曜石の矢じりなどの道具を1万年前に作った人々がいたのだ.宮坂さんたちは発掘しながら何を思ったのであろうか.




相当に大きな原だが,左の川べりに温泉風呂跡の石組が残されているのに驚いた.保科温泉はずいぶんと大きな温泉宿だったらしい.記録によると大浴場,露天風呂,温泉プール(20mほどの長さ)があったという.写真は大浴場の跡か.ここに夢をかけた人はどんな人だったのだろうか.物語を知りたいものだ.



道を戻すと,周りは別荘でいっぱいの人臭い都会だった.

★ NPO法人 八ヶ岳森林文化の会 による2009-7-11 に行われた冷山の黒曜石露頭探検の記録が
 https://8moribunka.sakura.ne.jp/8moribunka1/hokoku/H21/report20090711/report20090711.html
に記されている.