愛知 津島探訪 ―――  No.1 津島神社

コース: 名鉄津島線 津島駅前の天王通をまっすぐ西進し,津島神社に至る. 下図では津島駅が真下なので,進路は真上へ進んでいくことになる.基本的に津島駅から反時計回りに歩いていくことにするが,街中では時計回りに(矢印で記してある)一周してから下へ(東へ)下がる.



津島駅前



津島駅からの天王通りの眺め.この道を直進すると津島神社に至る.


天王通り沿いのガイド.津島神社と天王祭が描かれている



白山社: 白山寺白山本宮の分社.神仏分離令により神社として分離され,衰えた.白山(SHIRA-yama)は, 新羅系 (Silla)だが,津島神社が何系かは不明.






千体仏(円空作と言われるそうだが)



堤下(とうげ)神社:かって川を隔てて津島神社の遥拝所であった.



津島市観光交流センター:左の白い建物がセンターである



中にはいろいろと飾られている.津島祭での巻藁船(まきわらぶね,あるいは提灯船とも言う)の提灯をシンボルとしている.




大イチョウ:昔,天王川西堤防に当たり,御旅所があったところである.クリックすると大きくなり,ガイドが読みやすい.



下記の地図で堤下神社と大イチョウが川を隔てて存在していたことを確認してほしい (@とA).実際に見てみるとその間は凹んでいて,かって河原だったことがわかる.織田氏の支配下に入り,津島湊は大いに栄えた.信長が上臈を引き連れ橋の上より天王祭を見たと言われている.以来,織田,豊臣,徳川と津島神社は庇護を受け,栄えた.そして,明治に入り神仏分離令により滅びた.

天王通りから大鳥居を見る



津島神社大鳥居と楼門.左の菓子店の「くつわ」,「あかだ」は,米の粉を練って,クツワ状,あるいは団子状にしてごま油で揚げた菓子.両方とも相当な歯ごたえで食べるとバリバリと音がするほど.


境内図: クリックすると大きくなり,見やすい.

祭神リスト

主祭神はスサノオノミコト



本殿 (改修中)






 堀田新五郎の寄贈による.



津島神社の蘇民将来符


八柱社: 蘇民将来には離せない脇役.クリックすると大きくなり,見やすい.

弥五郎殿社


柏樹社(かしわぎのやしろ).クリックすると大きくなり,ガイドが読みやすい.





和御魂社(にぎみたまのやしろ) いよいよ蘇民現る.蘇民社が元来の呼び名.姥が森出現.クリックすると大きくなり,ガイドが読みやすい
 須倍(すべ)神社(浜松市)の境内社として津島神社・姥神社がある.祀られている祭神は,スサノオノミコトと石凝姥の命である.石凝(イシコリ)命は,天孫降臨のときのお供の5人の神様(イツトモノエ:五伴緒)のうちのイシコリドメノミコト(伊斯許理度賣命=古事記)のことであり,この命は作鏡の連(ムラジ)の祖と古事記に書いてある.すなわち金属を扱う部族で,おそらく鉄器を作っていたのであろう.いつの間にかイシコリが石凝と変化したのでる.したがって,ここでは,蘇民は鉄器を作成する民と解釈されていると考えられる.



期待の割には小さな社である.



南門.本来こっちが正門の位置と思われる.川に沿った楼門と大鳥居の参道のほうが人の流れがよくて,現在も津島駅に繋がる天王通りがメインとなっている.




門外の南参道には重要な摂社が並んで祀られている.

ハシカの社.蘇民信仰は疫病退治の神なのでこうなる.クリックすると大きくなり,ガイドが読みやすい.


居森社: 蘇民将来の末裔がいたという森.怪しげ.おもしろそう.何のために権威付けが必要だったのか.クリックすると大きくなり,ガイドが読みやすい.摂社としてはかなりの構え.



神社境内に接して宝珠院がある.明治維新までは僧と神官が兼任で経営していたが,神仏稀釈のとき仏の処理の引き取り手がなく,このお寺で引き受けたとのこと.牛頭天王像は興禅寺が引き受けた.いろいろの思惑の中で激しい時代の潮流に迎合したり,抗ったのかもしれない.インターネットを見ると,元神宮寺 真言宗 智山派 牛頭山 宝寿寺とある.こんなところに牛頭天王が隠れていた.現在の住職は女性であり,おじいさんが廃仏毀釈のとき寺として存続することを選んだと聞いた.






2. 天王公園へ続く


 2 天王公園(津島神社)


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