2013年は60年の大遷宮とかで大変にぎわっていた.私もその一人ではあったが・・・. 2013.9.15
観光設備として,県は出雲大社を核としてその周りにいろいろと県の遺跡を配置している.出雲伝承館ものひとつ.
建物とか,庭園とかここに移されてきている.
出雲そばの羽根屋もその中に出店していた.観光客はわんさかいるが,そば職人のほうが間に合わない.店の中はガラガラだが,お客は外で待っている.そばの値段は安く,味は良かったが,店のシステムは近代の観点からはそぐわないようだ.客に焦点が合わないで,店側の都合で商売が行われている.このようなビジネスモデルは早晩崩壊していくだろう.
案内図(インターネット)
出雲大社参道入り口(勢溜). ここは高い位置にある交差点である.
勢溜から見ると,一畑電鉄出雲市駅方面へは下り
交差点付近は土産物屋やぜんざいなどを食べさせる食べ物屋が密集してにぎわっている.
勢溜から見ると 参道は人人の波で下っていく.
松の参道.鳥居の下の道は神様が通る.人はその左右の道を行く.
幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)−日本書紀 でもこれは出雲王国の勢いが大和にも及んで大物主神[(=大国主神,大己貴神(おおむなちのかみ)]を,大和「三輪神社」に祀る話なんだが.ぱくったな.
拝殿.そこを囲むように人の列が進む.
ご本殿(国宝).大国主神を祀る.
ご本殿に参拝するために集まる人波
東十九社.神様の宿舎.何しろ八百万の神だから住宅難.
ご本殿側面
ご本殿後部.現在24mの高さにあるが,かっては48mの高さにあり,雲太(出雲太郎)として日本一高い建物として人口に膾炙していた.
素鵞社(そがのやしろ) 祭神:スサノオノミコト.奥の院に当たるが,パワースポットとして有名で大変な人気.渡部雅史氏によれば蘇我氏 (須我神社)の社と見る.蘇我氏こそスサノオノミコトの直系の可能性があり,古代出雲王国に関係するとみる.蘇民将来は,古代出雲大国に発するのか.
人々は大国主子大神を拝むが,主は西を向き,実は奥の院に当たるスサノオノミコトを正対して拝んでいる.そう確か,長野善光寺でも同様に御神座は西向きだった.善光寺は物部系だが(守屋柱),物部氏こそ出雲系(石上神宮)の氏でその出雲系の神座が共にそっぽを向いているのは,深い歴史的な理由を推測させ興味深い.
西の十九社
荒垣内を出るとそこは神楽殿.明治12年出雲大社教創始の際,本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来する.今は観光客の集客施設や結婚式場のようで,恐ろしいほどのにぎわいを呈する.ツアコンダクターが声をからしてお客様がはぐれないよう必死に集合させている.
神楽殿のこの混雑.
大注連縄(しめなわ)
喧噪の出雲大社を去る.
出雲教
★ 県立古代出雲歴史博物館の裏手に出た.
2000年に出雲大社境内より出土した本殿の巨大柱の展示が歴史博物館の目玉.穴が開いているから,そこに束ねの金属帯を通し3本を束ねたのであろう.柱の高さは48m?
雲太,和二,京三.太郎,次郎,三郎,大きいものを並べた.出雲大社,奈良の大仏殿,京都の大極殿.確かに大国主命が国譲りに際して自殺する前に要請していた壮大で巨大な神社があったことがわかる.
日本書紀時代の出雲
荒神谷出土品 (国宝)
銅剣358本
銅矛16本
銅鐸:荒神谷からは6口.これらの銅剣,銅矛,銅鐸は一括国宝指定, ここには加茂岩倉の39口の銅鐸(国宝)も含まれれて展示されていると思われる.