荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡 (出雲) 2013.9.16

荒神谷遺跡
レンタカーを借り,弥生の森(西谷四隅突出品墓)を訪れ,13:30 斐伊川に架かる南神立橋を渡り仏教山山麓に沿って行く.道は快適.2,30品やがて荒神谷遺蹟に着く.

遺蹟は荒神谷史跡公園のなかにある.芝生公園の中を行く.本日は国民の休日なので家族連れが多い.大きなため池にTシャツ展が開かれ,T-シャツが青空にはためいている.場違いなところに来たなと思っていると,石像群の眼下に解放的な谷が現れる.





蓮池の向こうの森が遺跡であった.




立派な荒神谷博物館もある.











神名火山(カンナビ山)の仏経山の北東3km斐川町神庭(カンバ)西谷の急斜面に
358 本の銅剣と6個の銅鐸(左側),16本の銅矛(右側)が埋まっていた.本物は出雲古代歴史博物館に展示されているが,ここではレプリカが発掘当時の様子を伝えるために展示されている.なぜこの急斜面に,多数の青銅の祭祀用の道具がかくも多数埋められているのか.ヤマトの軍勢が出雲に迫りつつある中での秘蔵なのか,推測は果てない.




遺蹟を巡って木道が用意され,対面から斜面を見て上部の森を通って発掘再現の標識のところに下ることができる.





博物館では,コシキの特別展を行っていた.





荒神谷の赤米: 後ろの田んぼで作っていてそろそろ収穫.






★加茂岩倉遺跡
 荒神谷遺跡から車で15分で加茂岩倉遺跡に着く.急な細い谷に沿って登っていく.かって水田であったそうな.急な崖の途中農道の工事で重機が掘り起こしているとき偶然見つかった.




急な斜面の道を上ると発掘現場が再現されている.




そこから木道がほぼ水平に付けてあり,ガイダンスと称する谷をまたぐ部屋に至る.そこにはレプリカが展示されている.下の平らなところは,かって水田であったのであろう.


木道から見た発掘現場.なぜこんな急な斜面に39個の銅鐸を埋める理由は何であったのだろうか.しかも銅鐸は大きい銅鐸と小さい銅鐸が入れ子になっていたという.尋常なことではない.ここから3.4 kmで荒神谷遺跡に至るハイキング道もある.弥生時代に出雲の南縁を作る,西谷遺跡の四隅突出墓,仏教山(現在そう呼ぶ,古事記 垂仁天皇の本牟智和気王(ほむちわけのみこと)の項に記されているが,具体的な山の名は記されていない),荒神谷遺跡,加茂高倉遺跡はどう解釈すべきか.古代出雲族の存在を語っているようだ.




木道から見た発掘現場 (白いところが説明版).


ガイダンス




銅鐸のレプリカが飾ってある.


何しろ暇そうで,説明員のおじさんが1人いて,お茶を持ってきてくれてビデオも見せてくれた.私のいるときに2組が現れたにすぎなかった.

下って,駐車場に戻る途中の説明案内.




斐伊川の土手をドライブして出雲市駅へ戻った.17:30着.