若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民は高麗若光の徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。(高麗神社ホームページ)
高麗神社由来
国重要文化財 高麗家住宅 江戸時代初期
高麗神社から高麗一族の菩提寺聖天院に向かう.
聖天院参道
風神
雷神
A:白鬚神社(新羅), B: 高麗神社(高句麗),C:竹寺(高句麗?)
7世紀初頭,未開発の地に渡来人の開拓団が入って生きた.出身地を絆として新羅,高句麗,そして・・・. 関東の地はあるときは共同して,ある時はいがみ合い渡来の人々が開発していったのではないだろうか.
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