水沢 黒石寺

 岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17  天台宗

伝承によれば、天平元年(729年)、東北地方初の寺院として、行基が開いたという。東光山薬師寺と称していたが、延暦年間(782年806年)兵火により焼失、その後大同2年(807年)に坂上田村麻呂により再興され、嘉承2年(849年)円仁(慈覚大師)が中興して現在の寺号となったという。

もとは修験山伏)の寺であり、胆沢城鎮守式内社である石手堰神社の別当寺として、盛時には48の伽藍があったと伝えられ、一帯に多くの寺跡がある。

旧正月七日から翌日早暁にかけて毎年行われている裸祭りは有名である.残念ながら,檀家減少により祭りは2024年2月終了した。




蘇民祭紹介




瑠璃壷川をせき止め身を清める.寒いだろうな.


黒石寺.中央に薬師堂があり,左が宝物館.写真の塀で囲まれたところが住居.どういう経緯でここまで蘇民将来は流れてきたのであろう.本堂の左手を山に登ると妙見堂がある.北斗七星の信仰もあったことがわかる.というより川村湊氏は「牛頭天王と蘇民将来伝説」作品社で,道教では,牛頭天王は天形星であり,二十八宿の一つ,牛宿を司っているが,地上に降りて牛頭天王となった.星神の信仰は,大陸からの渡来人によってもたらされた.奈良東大寺の大仏は金箔によって飾られたが,その金は百済王敬福により奥州からもたらされたことが知られている.したがって当時渡来人はみちのくまでやってきていたのであると述べている.胆沢城の中に黒石寺はあったということから,渡来人も同行し開墾,開発に当時から従事したことも考えられる.


東北新幹線駅 江刺水沢駅で展示されている蘇民将来護符





蘇民袋.中に蘇民際ではこれを奪い合う.蘇民袋の中には、小間木と呼ばれる、疫病の護符は将軍木(かつのき)を削って六方形とし、「蘇民将来子孫門戸☆」の九文字が書かれ、寸角に切ったものが入れられている。これを奪い合う.




岩手県南部では広く蘇民祭がおこなわれている(あるいは,いた).岩手県教育委員会から上記に示したA4版171ページの調査結果が刊行されている (2002).黒石寺の裸祭りが有名であるが,水沢周辺では今も蘇民祭がおこなわれていることがわかる.

★ 胡四神社 (花巻市)
    蘇民祭が1月2日に行われる.


★ 岩泉牛頭天王神社: 2004年に家族旅行しているとき見つけたもので,私の中では最も北に位置する.
   素朴な牛頭天王社の神域には,カタクリが満開であった(2004.5).


 千年の祭りが絶えるとき   2024−2月
 NHK 2024-4-27放映 ビデオから写真として取り出す

蘇民祭は黒石寺の檀家が1年を通して準備運営する。しかし,現在檀家は10件。跡継ぎで男性のいるのは5軒。限界集落でやがて檀家自身の存続が滅亡していくことが予想される。外部から応援の申し出はあるが通年で準備するのは無理と判断し,今年2024年2月をもって蘇民祭は終了と決定。







蘇民将来と書かれた小間木の入った蘇民袋を切る(刃物入れ)