萬祥釜と西谷(にしだに)四隅突出型墳墓(出雲弥生の森)


朝,出雲市駅で見た陶器に興味を持ち,レンタカーでNAVIを設定し,萬祥窯に向かう.





窯変.値段もついていない.











もともとは,出雲大社の裏で作陶していたとのこと.おじいさんがここに移り,萬祥窯と改名し,窯を開いた.この俵型の茶器もそのおじいさんが初めて作ったとのこと.



萬祥窯のご夫婦.裏手の山を見るときれいに柵をした墳墓が見えた.これが本日目標の四隅突出型墳墓であることに気づいた.ご主人からぐるっと回るように指示され,車を回す.

★西谷墳墓群と出雲弥生の森博物館






駐車場から上るとメインの3号墓

これが四隅突出部.このように石で囲われていた.










3号墓の頂上は2体の遺体が埋葬されており(赤で示されている),そのうちの1つは4本の柱跡があった.ここに屋根を持った埋葬施設があったと思われる.出土物から大王とお妃が祀られているのではなかろうかと思われる.



3号墓突出部を頂上から見ると

3号墓頂部より復元2号墓を見る.左は校庭.


復元2号墓を見る






1号墓




萬祥窯の裏手を上がると1,2号墓になる.かって窯用の土を取っていたため1,2号墓は一部を除いて原型をとどめていない.今となっては残念なことである.

途中の坂で萬祥窯第13代日野氏より多大な寄付があったとの感謝碑を見つけた.氏は,先ほどあった萬祥窯のご主人であった.2 haの土地を寄付したと言っていたのは,このことであった.出雲大社は縁結びというが,これにはただ驚くばかりである.


出雲弥生の森設備



再び登り返して5号墓,4号墓を見る.


4号墓


4号墓




自動車道の向こう側の法面に(案内図の25号墓あたり)第3氏群と書かれた横穴墓所あり.楕円形に見えるところが墓所である.大きなお墓に入る人,小さなお墓に入る人,入れない人,いろいろあったことがわかる.



弥生の森に接して立派な博物館が建っている.





県立古代出雲歴史博物館に金の冠を付けた馬上の勇士が展示されていたが,その金の冠がこれ.このようなことが弥生時代にあったのは,出雲は朝鮮に近く,その文化が他の日本の地域より早く得られたと考えられる.


大王の剣にふさわしい.すでに鉄の文化.出雲の権力は鉄にある.


文字も文化


1600 年前というと,西暦500年ということか.


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