「蘇民将来」は,木を六角形,あるいは八角形に刻んだお守りで,北は,岩手の黒石寺から南は京都の八坂神社まで見ることができる.40年前(1983年)の家族旅行の途中,上田信濃国分寺で蘇民将来のポスターを見つけ,蒙古のパオを連想させるその異国的な形に興味を引かれた.10年後の1993年1月7日,信濃国分寺「八日堂縁日」で蘇民将来のお守りを手に入れた.縁日への道は雪が道路沿いに積まれた底冷えのする夜であった.「蘇民将来子孫之也大福長者」と六角柱の各面には2文字ずつ記されている.一体,「蘇」の「民」の「将来」とは何なのか?
それを契機として,蘇民将来と関係のある神社仏閣を訪れるようになった.結果,京都八坂神社を基点とした渡来民の軌跡が蘇民将来であると考えるようになり,さらには古代大和朝廷の発展に貢献した渡来民の軌跡にも興味を持つようになった.時代でいえば百済,高句麗が滅び大量の難民が日本に渡来した7,8世紀が主舞台ということになろうか.しかし,全く歴史に関する門外漢なので,それ以上進めることができなく,趣味として蘇民将来に関係するものを見たり,小さな発見をしながら20年間を過ごした.
2013年3月退職したのをきっかけに蘇民将来をもう一度見直してみたいと思い本ホームページを立ち上げた次第である.(2013.8 西海)
結局は,古代史に目を向けることとなり,その探訪画像も設けた (2023.10)