武漢 皆既日食 2009.7.22.
午前8時過ぎ気温が下がっていき、暗くなっていく中、消えていた街灯が再び点灯し、おびえる犬の遠吠え、鳥の群れの羽ばたきを聞きながら、雲間からダイヤモンドリング、皆既食を見ることができた。残念ながら小さなデジカメを手で固定しただけの状態で撮影したのでぶれているが様子は知ることができる。このあと太陽は雲に覆われ、日食終了後雲は去り、晴天となった。
皆既日食の範囲は50〜200km前後に限られる。他は太陽光が届くので地平線は明るい。これは日食焼けと呼ばれる。(石垣撮影)
開成3年6組観測グループ。植村、石垣夫妻、西海夫妻、神原夫妻。
日食終了後、ツア全員黄鶴楼を訪ねる。巨大な楼閣である。
この李白の漢詩、授業で習ったことを覚えていますか。黄鶴楼は武漢の郊外に立つ楼閣で長江に面している。揚州は揚子江中流の南京と揚子江下流の上海の中間点で、かって三国志の呉の中心だったところである。、孟浩然は華やかな栄転の船に乗っていたようだ。
黄鶴樓送孟浩然之廣陵 (黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤舟遠影碧空盡
惟見長江天際流
黄鶴楼(上画像)は、湖北省武昌(現武漢)の西南隅、長江を見下ろす高台ににある楼閣。むかし江夏郡の辛氏という人の酒屋に、ある日ひとりの仙人が現れた。酒を乞われるままに主人は大杯で飲ませた。爾後半年ほどの間主人は嫌がらず只で酒を飲ませ続けた。ある日、仙人は主人に向かい、酒代がたまったが金がないと言い、お礼に店の壁に黄色い鶴を描いて立ち去った。ところが不思議なことに、酒を飲みに来た客が手拍子を打って歌うと壁の鶴が踊り出す、忽ち評判となって店は大繁盛、十年ほどの間に辛氏は百万長者になった。ある日ひょっこり例の仙人が現われ、笛を取り出して吹くと、空から白雲が舞い降り、黄鶴が壁から抜け出して来た。仙人は鶴の背に跨って白雲とともに飛び去った。辛氏は楼閣を建て黄鶴楼と名づけて祈念とした。という言い伝えがある。崔の「黄鶴楼」の詩が有名。
黄鶴楼 黄鶴楼 崔
昔人已乗黄鶴去 昔人 已に黄鶴に乗りて去り
此地空余黄鶴楼 此の地 空しく余す 黄鶴楼
黄鶴一去不復返 黄鶴一たび去って復た返らず
白雲千載空悠悠 白雲 千載 空しく悠々
晴川歴歴漢陽樹 晴川歴歴たり 漢陽の樹
日暮郷関何処是 日暮 郷関 何れの処か是れなる
煙波江上使人愁 煙波 江上 人をして愁えしむ
黄鶴楼の内部に数階分の高さを使い下記の大壁画がはめ込まれた巨大な陶板画がそびえ、李白の詩より有名であるようだ。